金子歯科医院・東京駅八重洲 所在地院内紹介スタッフ歩み研究会  sitemap 


1. 1955年〜75年・追いつけ追いこせ

2. 1976年〜90年・臨床の個別性

3. 1991年〜現在・歯はそれほどなくならない


1. 1955年〜75年・追いつけ追いこせ

1955年 「大学は卒業したけれど・・・・」というキャッチフレーズそのままの臨床第一歩でした。駐留軍のご声がかりで大学に昇格したといえそれは外側だけのこと、教員も専門教育内容も戦前からの専門学校そのままでした。不勉強な学生でもこんなことでよいのだろうかと思いつつ歯科医となったのです。米軍キャンプの診療の話などを聞くにつけ、こんなはずはないと思いながら入ってくる情報は戦前のものばかりだったのです。



1964年  ようやく待望の海外渡航が解禁になり、持ち出し規制枠の$500と3万円をもって40日の旅に出ました。貧乏旅行でしたが、学生時代からのモヤモヤはすべて解消し、胸一杯の新しい空気を吸い込んで帰国しました。ただ、その消化吸収と新体制の構築には次の十年が必要でした。
 
1975年  開業20周年をむかえ、父の代からの患者さん、スタッフ、先輩などをお招きして記念パーティを開くとともに「患者と歯科医」というパネルディスカッションを行いました。 パネラーは歯科医師でしたが、司会は経済評論家の患者さんにお願いするという思い切った企画でした。 はっきりした結論や合意には到りませんでしたが、多数の患者さんにも参加して頂いて意見交換ができたことは、 その後の大きな拠り所になりました。

1975年ころの雑誌に書いた1文です。
このころ歯科医療が社会全体から糾弾され、厚生省とは全面対決、「歯科医療110番」なども設けられて、全てがギクシャクしていました。
これを書いた時はまだ 40代でしたが、それから間もなく30年。社会も大きく変わりましたが、自分の仕事への想いも少しずつ 変わってきました。









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