| 2. 1976年〜90年・臨床の個別性 |
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| 歯科医療がマスコミでとり上げられるとき、決まって問題になるのが治療方針の大きなばらつきでした。
「ある医院では全部抜いて総義歯だといわれたが、別の医院では抜かずに・・・」という話題は定番ものでした。 始めは確かに言われる通りで、多少の違いはともかく、歯科医の数だけ診断があるのは困ったものだと考え、診断学の元祖である「内科診断学」のテキストを拾い読みしました。 |
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| しかし読むほどに問題は簡単ではなく、元祖の中でも対立する2つの考え方「ヒポクラテスかプラトンか」は、永遠のテーマになっているように思われました。患者さんとの関わり、歯科医療のあり方、診断とは何か、 といった話題は勉強会でも格好の話題で、論議は尽くされ書籍にまとめたこともありましたが、結論は人生の目的と同様「不可解!」でした。 |
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完敗に終わった「総合診断へのアプローチ」でしたが収穫もありました。
- 手技だけが独走するのは怖いが、歯科臨床には手技や感性が左右する部分は大きい。
- 人の記憶には確実なものと曖昧なものが同居している。長期になるほど記録は欠かせない。
- 症例の記録には、その中に術者やスタッフの考え技術なども封印されている。
- 自己研鑽の方法として記録を保存する意義は大きい。
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充填、歯内療法など歯牙単位の小さな問題では、どちらかといえば手技的な巧拙が多くを左右する。治療結果の優劣でも術者によるばらつきは避けられない。しかし同じ術者のなかでは患者さんに よってそれほどばらばらな結果にはならない。
しかし問題が口腔単位に広がった場合、経過を大きく左右するのは患者さん自身の治癒能力、体質、 性格などである。ここでは術者の知識や手技は裏方になる。局所的には同じような疾患でも人により経過は様々で平均値で予測をすることも難しい。
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