モグラのとんねる

 

3月1日 CMOS

 先日ほかの用事であるカメラ会社の方とお目にかかりました。その時にデジカメ撮像素子としてのCCD、CMOSの話になりました。聞き手が聞き手ですからあまり詳しい事はわかりませんでしたが、CCDは供給元がS社一本に絞られてしまっているので、できればその縛りから抜け出したいという思いや、消費電力が少なく作動が早いという特徴から、各社ともなみなみならぬ関心をもっていることはよく分かりました。唯一のCMOS搭載機D30の評価は?という質問にはには、あれではね。何が。ノイズが。でもよく消してあるという意見も。そのために犠牲が。となると、すでにアナウンス済みのキャノンの上級機が、どちらを搭載するかが今後の流れを大きく左右することになりそうです。

3月6日


白馬東急ホテル


フェニックス


奥志賀高原ホテル

3つのホテル

 先週末40名ほどの集団で白馬にスキーにいってきました。1960年代八方尾根はわれわれのホームゲレンデでしたのでシーズン中は何回となく通いました。夕方仕事が終わるやいなや車で飛び出して到着は11時から12時、2日間めいっぱい滑って日曜の深夜に帰るというスケジュールです。その頃から白馬東急ホテルは一番多く利用したホテルです。98年の長野オリンピックのときに全面改築され昔の建物はまったく残っていませんが、新しくなったホテルも素晴らしい本格的リゾートホテルです。今回もここに2泊したのですが2シーズン来なかった間に驚くほど変わってしまいました。建物はまだ新しいですし何も変わっていないのですが、人がすっかり変わってしまいました。シーズン最中の週末というのに客足はまばら、2年前はてきぱきしていた支配人もまったく無気力で、昨年からの打ち合わせはほとんど反古同然でした。ものを頼む気になれなくなるスタッフの応答にも悩まされました。われわれがよく行くもう一つのスキー場は奥志賀高原です。ここにも老舗の二つのホテルがあります。奥志賀高原ホテルとフェニックスです。どちらもスキーシーズン中、週末の予約をとることはかなり困難です。フェニックスが抜群のハードウエアを誇るのに対し、奥志賀高原ホテルは新館部分はきれいですが、増改築があって全体としては雑然としています。ところがソフトについては両者の立場は逆転します。ホテルらしいきちんとした対応が整っている奥志賀高原ホテルに対し、フェニックスは本業のスポーツウエア部門からの出向社員のせいか接客業の体をなしていません。中でもフロントの要領の悪さは定番ものですが、本格的チロル風のインテリアと和食はライバルを引き離しています。
 3つのリゾート・ホテルを比較してその印象を大きく左右しているのは、トータルシステムもあるでしょうが、われわれが接する人たちの仕事ぶりにあるようです。頼んだことをきちんとやるのを標準として、依頼の内容から相手の事情を読みとってくれるか、文字面だけで精一杯かでプラスとマイナスに分かれるように思います。今年の奥志賀高原ホテルでも1人のベルボーイの仕事ぶりが、全てのイメージをプラスに変えました。

3月12日

スキーとスノボ

 カービングスキーで何とか生きながらえているとはいえ、全盛時代を生きてきた者としてはこのところのスキー界には元気がないように思う。時勢がら宿泊など費用がかさむこともマイナスになっているのだろうし、ウインタースポーツも多様化してきたという説明も分からないでもない。そこで気になるのがスノーボード急増である。本来なら仲間に入ってくれるはずだったスキーヤー予備軍を蝕んでいることは間違いない。スキー場の方も始めのうちこそ正体不明のスノーボードを嫌って禁止や制限をしていたが、スキーヤー減少に歯止めがかからぬ中、背に腹はかえられず次々に解禁になっていった。今でもスノーボードを禁止しているところは指折り数えるほどになってしまった。これはやむを得ないにしても、好きになれないものは好きになれないのだ。
 スキーでも自転車でも手に何も持たなかったり手放しで疾走することには快感がある。既存のしがらみから解き放たれたような開放感があり、スノボにも同じような快感があるだろうことはよく分かる。進行方向に正対せず斜に構えたスタイルもそれにマッチしている。ロートルスキーヤーへの若さの挑戦という感じなのだろう。そこまでは我慢するとしても、コースの途中にごろごろ転がって動かないのは困りものだ。片足をボードから外さないことには、歩くことも休むこともできないお気の毒な身の上にはご同情申し上げる。颯爽とターンしていく姿とあの無様さとの対比もなかなかのものだ。われわれロートルスキーヤーは小さな声でゲレンデのゴミ、はえ、カラスなどと呼んで鬱憤をはらしている。
 それはともかく身辺を見回すと、似たような新旧の対峙はあちこちで起こっている。

3月16日

書籍と出版物

 八重洲地下街はテナントの入れ替えがじつに激しい。長く営業を続けているのは大きなチェイン店や老舗のショールーム的な所ぐらいで、開業以来という所は1/10にも満たないだろう。詳しいことは知らないが家賃が高額なためであることは間違いない。入れ替わっていく店舗を見ていると世相を反映しているが、そんな中で最近目立つのが古書店の急拡大である。来月からもわれわれのビルの入り口近くに、大きなスペースの開業準備が進んでいる。この店が小さなこまで営業を始めたのは2年ぐらい前のことだと思うが、1年ほど前にはほぼ3倍に拡大そして今回である。
 新刊書のほうはブックセンターと丸善に挟まれた大丸の5階に、紀伊国屋がオープンして話題になったぐらいでどちらかといえば減少傾向なのに、この古書店は同じ地下街の有楽町寄りでもかなりの大きさで営業している。仕入れが二束三文だからぐらいしか専門的なことはまったく分からないが、書籍離れ、新刊書の減少、ペーパーレス、DTPなどが叫ばれるなか不思議な減少である。

3月20日

カメラ雑誌

 最近カメラ雑誌を買うのはずっと年に1〜2回だったが、最近は毎月のようになっている。その代わりにパソコンの雑誌はまったく買わなくなった。なぜそうなったかは次に譲るとして目立つのはマニュアル機、クラシックカメラなどの記事の中である。ニコンFの限定復刻版がすぐに完売になったり、FM3という急モデルが復活したりしたのに驚いていたら、今度は2眼レフのローライフレックスが新発売になるという。価格は40万を越えている。さらに最盛期でもごく特殊なモデルだった広角、望遠のタイプも予定されているという。ライカには層の厚いマニアだけでなくプロの実用機としても不変の支持層があるが、その周辺に位置づけられるフォクトレンダー・ベッサーなどというレンジファインダー機も大きな話題だけでなく、支持層を広げているらしい。一言でいえばカメラ本体、ファインダー、レンズなどをばらばらで選んでマイカメラを組み立てようというような発想だ。一体誰が!と思ってしまうようなカメラを、輸出が主力だったコシナという中型メーカーが作ってヒットしているらしい。しかし、かなりカメラの知識がなければ使うことはおろか買うことすらできないでだろう。
 この他にもブローニーフィルムを使う中盤サイズカメラ、高級コンパクトなどもあって新製品オンパレードのパソコンやデジカメ雑誌とはひと味違う。さらに1〜2年前までは頑ななほどデジタルに閉ざしていた門を広げ、カメラマンのためのパソコン講座のような記事も登場し始めている。スキーとスノボの関係と何か似ているような気がしてならない。

3月26日

銀塩カメラとデジカメ

 1999年までは急速な性能競争やデジカメ自体の物珍しさもあって、次々発表される新製品にかなり関心をもっていた。しかしD1以降にはパタリと関心をなくしてしまった。もともと一眼レフ党でコンパクトカメラにはどうしてもなじめずにいたので、その延長線上のこととも考えられるが、最大の理由の第一はデジカメの製品寿命の短さである。短命故に細部までの煮詰めが行われず欠陥商品すれすれのところで発売され、1年もたたない中に新製品に置き換えられて姿を消していく。
 銀塩一眼レフでも製品寿命は短くなりつつはあったが未熟児はなく、発売後数年はその座を保ってきた。後継機が発表されても存在意義ががた落ちするようなことはなく、あるものはロングセラーになって生き残り名機と呼ばれるようになった。いったん生産が中止されてもその後に復活することすらある。銀塩カメラにはフィルムという安定基盤の上に乗った確かさがあり、それが製品の確実さにもつながっている。
 これに対してデジカメの方は今まさに発展途上で、技術革新の荒波に翻弄されている。光の入り口になるCCDも画像を保存するメモリーカードも、僅か2年ほどの間に10倍以上に進歩してしまっているのだから、成熟などという言葉を使うことはできるはずもない。一眼レフタイプのCCDでさえ現在は35ミリの半分しかないAPSサイズを使っているが、いずれ35ミリサイズに統一されるのは時間の問題だろう。(今年発売予定のコンタックスもペンタックスも35ミリサイズになるといわれている。)3年後にリセールバリューをもつデジカメが何台あるだろうか。食べたいものがあったら買ってきて、残ったものは捨てるという生鮮食料品的な対応しかないように思われる。

 

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