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4月1日

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植民地と独立国
銀塩カメラがそれ自体で独立した製品であるのに対して、デジカメはあくまでパソコンあっての入力機で植民地のような存在だ。そのためにどうしても独自の道を歩むことができない宿命を負っているような気がする。どんなに素晴らしいカメラを作り上げても、最後のところはパソコンやソフトに握られている。
デジタル写真最大の長所は即時性、加工性であるが、その何れもがパソコンのバックアップによって成り立っているものだ。フィルムの化学反応で完結する銀塩写真の世界が、閉鎖的だが独自性をもっているのに対して、デジタル世界は茫漠として捕らえどころがない。銀塩写真では撮影がきわめて大きなウエートをもっていたが、デジタル写真では撮影後の処理方法に比重は移っている。その守備範囲は広く多様な才能が要求されるようになっている。かって写真と映画の間にははっきりした境界線が引かれていたはずだが、デジタルの静止画と動画の間のラインは明瞭ではない。
インターネットがいかに進歩したといってもテレビの簡便さには及ばないように、デジカメがいくら普及しても使い捨てカメラには追いつけないような気がする。ユニオンジャックを組み込んだ国々を独立国と認めるかどうかは難しいが、写真にこだわっている人の中には独立国家の住民としてのプライドが見え隠れする。
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4月3日

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原点は歯車
時計もカメラもはじめはメカニカルな製品で、機能を支える原点は歯車だった。シャッターも絞りもギアやリンクやスプリングで駆動するので電気とは無縁な製品だった。露出計が組み込まれるようになってもはじめは電池を必要としなかったが、時計が電子化する頃から次第にメカが電気に置き換えられてゆき、ギアに代わって電子基盤がカメラの中心を占めるようになった。正確でバラツキガなく量産化のメリットを生かせる電子部品はその後も増え続け、電池切れになった時へバックアップさえ省略されるようになった。デジカメはこの延長線上にはじめから電気的製品として生まれてきた。電気大量消費時代の産物で、フィルムは消費しないが電池は湯水のごとく消耗する。デジカメの武器であるカメラ背面の液晶モニターがその元凶であることは間違いないが、ビデオ同様、もはやファインダーにも成り代わろうとしているのだからいかんともしがたい。
電気のお陰で便利になったことは認めつつもひとは一抹の淋しさを感じている。SLに熱中しLeicaに憧れる根底にあるものはメカニカルなギアへの回帰願望で、パソコンに代表される電気万能へのささやかな抵抗のような気がする。歯車が消えプラスチックの電気製品に代わった現代、名機、愛機などという言葉も死語になったような気がする。
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4月13日
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整理魔
もともと自分の身の回りは、ある程度片づいていないと落ち着けない方だが、年齢のせいか最近一段と病態が進んだようだ。身辺には捨てきれずにたまったものに満ちあふれているので、何かを始めれば当分忙しくなる。倉庫の中の古い器械、書類雑誌別冊、スキーウエア、写真用品、何かに白羽の矢を立てる。まず捨てきれなかった基準を引き上げ「これは捨てよう」と言い聞かせながら幾つかのものを捨ててしまう。未練が残っても取り返せないような状態、場所に捨てることにしている。これでボーダーラインが引けると後はその上げ下げはあるにしても「あれも捨てたのだから!」と迷いは軽くなる。
将来また同じ混乱を繰り返さないために、捨てながら残ったものの整理方法を考える。仕分ける単位、置き場所、箱の大きさ形態などと、作業の頻度が問題になるが、再使用の可能性が低いものはなるべ思いきって処分することにしている。製本しながら保存してきた歯科雑誌も、今はブックエンドとして一部が残っているに過ぎない。過去が短く未来が長かった時期にはできなかった決断が、つきやすくなったことはいなめない。思い入れはあるものの実用の可能性はゼロの近いNikon F4のボディなども整理対象に入ってカメラの棚はかなり片づいた。これがきっかけになって、私にとって最後の聖域スライドにも整理のメスが入ることになった。
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4月19日

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スライドを捨てる
1960年代から症例の記録は35ミリスライドである。一時4×4にしようと頑張ったこともあるが長続きはしなかった。撮影済みのスライドは20枚ずつプラスチックのシートに入れ、さらにファイル5枚(スライド100枚)ごとにオープンファイルに入れるという方法で管理してきた。最盛期にはスライド約4000枚が入るA4のキャビネットが一年に一段以上増えていった。自分だけでこの勢いなのでスタッフの分を含めると2倍以上で、ありとあらゆる戸棚はスライドに占拠されていった。自分専用のファイリング・キャビネットが35段(14万枚)になった時から、診療室の保存場所はこれ以上増やさないことに決めた。スライドを撮りだした年齢が30代後半だったので、今の人たちと比較するとスタートは遅かったが50代のことだったと思う。これ以降は何年かに一度、初診だけで終わった患者や、発表用に作ったスライドなどを処分するなど整理を徹底することでやりくりしてきた。
60代になると、長いおつき合いだった患者さんの中からも亡くなられる方が目立つようになってきた。経過とともにさまざまなことを学んできたケースが終了になることは偲びがたかったが、その数も半端ではなくなってきた。転居、通 院不能などのケースを加えると20%を越えるようになって、新たな対応が必要な時期にきたことを知らされた。
これまでも何度かスライドを捨ててきたが、今回はそれらの時とはかなり条件が異なっている。D1導入から1年半、新しいスライドは増えていないので保存場所についての悩みはない。一時急増していたフィルムレコーダーからの出力スライドも、データプロジェクター以来ぴたりと止まった。したがって今回の目的はこれまで占拠されてきた場所を開放することと、スライドとデジタル間の交流を円滑にすることである。
スライドを廃棄する前にデジタル化して保存することは可能なのだが、どこまでどのようにしてデジタル化するか?となるとまたまた難問である。D1によるデュープという奥の手を使えば、スキャナーとは比較にならない時間でデジタル化はできるが、それでも大量となればかなりの仕事量になる。今後そのデータを使う予定がなく、捨てずに仕舞っておくためというのでは「箱詰めにして物置に収納」するのと同じことで作業に気合いが入らない。結論として
- 今後、利用の可能性の低いものはこれまで通りバックアップはとらず廃棄する。
- 全体としては省スペース化を図るが、3〜4のランクをつけそれにより置き場所を変える。(どのグループも何時でも利用は可能に)
- どのグループからデジタル化するかは次のステップだが、整理のためのデジタル化は退屈で耐えられそうもない。
活用のためのデジタル化は98年からすでに進行中だが、初期の色調調整のつまずきでデータを壊してしまったものも少なくないのでほぼ再挑戦になるだろう。またこのグループの場合はデジタル化後もスライドは捨てられそうにもないので、省スペースには役立ちそうもない。
ともあれスタッフも動員し現有する全スライドの点検に1ヶ月を要したが、ファイリング・キャビネット5段を減少させることができた。スライド1枚が○○円などということは決して考えないことにしている。
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4月23日

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PENTAX MZ-S
早朝ペンタックスのサービス・ステーションから「新しいMZ−Sがきたのでお持ちします」との電話。昔々リングストロボ開発した頃からのお友達である。SPからLXまで長いおつき合いで、もしZ−1のシリーズがなければ今もペンタックス党のままだったかもしれない。テカテカした表面仕上げとあの気持ち悪い曲線の時代なしに今のMZシリーズにつながっていてくれれば!と何度愚痴をこぼしたことか。ペンタックス空前のデモンストレーションだった高輪プリンスでのZ−1発表会を悪夢のように思い出す。
MZ−Sの第一印象はきわめて良かった。もしかしたら奇異な感じ?と懸念していたカメラ上面を大胆に傾斜させたデザインは何の違和感もなかった。丸形液晶パネルと思った大きな円形は実はダイアルでもあり、左側の露出補正関係と機能を2分している。グリップはZシリーズのように大きすぎず、MZ−5などのように頼りなくもなく文字通り手になじむ。何より特筆すべきは軽さだ。ニコンに慣らされた感覚では、ズーム付きでもコンパクトカメラのようにさえ感じられた。マグネシウム・ボディの表面性状も気持ちよかった。パーフォレーションの間に撮影データが記録されるのも電子カメラならではの離れ業だ。こんなカメラが出てくるとまた銀塩に戻りたくなってしまう。
ネーミングこそMZ−Sだが、このカメラがこれまでのMZシリーズと同じ系列に属するとは考えられない。機能もデザインもまったく違うし価格も13万円台と2倍近い。無難だが新鮮味にはかけていたこれまでのMZシリーズがのに対して、MZ−Sは新たな一眼レフの形態にチャレンジする意欲作だ。同じボディシェルで、フルサイズのデジタル1眼レフも近く登場させようということからも並々ならぬ意欲を感じる。当然シリーズ名のローマ字は変えておかしくないはずなのに、MZ−Sというネーミングは地味すぎるように感じる。メモリアルなLXに変わるフラッグシップだ!といってもおかしくなさそうなのに・・・・
こうなると秋頃というデジタル版が気にはなるが、決定的にデジタルカメラに乗り遅れたペンタックスに一打逆転の奇跡は?????
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