モグラのつぶやき
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カレンダー10月 「Montego Bay」 6月、8月と同じジャマイカでの一枚です。がっしりした体格の漁師が小舟を曳いて海から帰ってきました。船の中に網や釣り道具などはなく素潜り漁のようです。貝のほかは珊瑚、ひとで、海綿とロブスター1匹でした。どれも乾燥してお土産屋さんに並びそうなものです。獲物を突堤に並べるとロブスターだけを持ってどこかに行ってしまいました。海の貝は色も形も信じられないほど美しいものが多く、長年変わることもないので置物にも絶好ですが、やはり海から上がってきて生きている時の色つやは別 物でした。


10月3日

 

4th birthday

 先日ネット検索をしようとした時、ひと味違うGoogleのマークが目にとまりました。My-pixyに1ヶ月ほど遅れて4周年だったようです。さりげなく4th birthdayのケーキと数字、そして1週後には元に戻っていました。1ヶ月も花火を打ち上げていたわがサイトより遙かに大人です。強力助っ人を得てリニューアルも進行中のこと、未練は残りますがそろそろ取り下げることにします。

10月18日

句読点2

先月句読点のことを書いたら早速文献を届けて頂きました。20年近くも昔のものですが32ページの小雑誌特集号です。いつから句読点が使われるようになったかという点は、著者によってかなり異なっている。「明治になって西洋文の句読法の影響を受けて」という説明が何となく納得できるが、毎日新聞の論説委員などをされていた古谷綱正さんの「新聞が現在のように完全に句読点をつけるようになったのは、戦後しばらくしてからである。」という記述には驚いた。明治初期から大正、昭和と多くの事例をあげられ手、新聞記事が小学校の教材に使われるようになって「朝日」が先鞭をつけたとされている。
  もう一つ興味深かったのは「話し言葉の息継ぎと句読点」というNHKの方の原稿」で、本田勝一氏の文章を引用して「文章における句読点と音声表現における息つぎ(ポーズ)との関連を指摘されている。 「正しい原則と正しい思想単位とで書かれた文章は、テンのところで息をつくようにして朗読してみると、聞いていてもたいへんわかりやすい。一種のリズムを持っている。名文といわれるものの多くはそのような文章である。」

10月21日

リニューアル

    診療室のあるダイビルが2〜3年がかりでリニューアルしてくれたのは大歓迎なのですが、外がピカピカになった分だけわが家が古ぼけて見えて、お付き合いをせざるをえなくなりました。週末2回4日をかけて、どうやら通路やエレベーターホールとのギャップはなくなりました。
  次はHPのリニューアルです。ビルは40年目でしたがこちらはマイナーチェンジをはさんで4年目でした。増改築で迷路状態の構成、蜘蛛の巣のように張り巡らされたリンクなど、新たにパートナーになって頂いた佐藤さんにはずいぶんご苦労をかけました。ともに妥協せず自己主張を続けた結果、ほとんど2ヶ月かかりきりというハードワークになってしまいました。できる限り経過対応もしやすい形式にして頂きましたので、当分は枕を高くしていられそうです。続いて2つの歯科医院のHP立ち上げもお手伝い頂いているので、間もなく新たな徘徊コースが誕生するでしょう。

10月27日

OSX

   この話題、前にも書きましたが写真は先週末の日経からです。毎週パソコンがらみの新ネタを提供されている山根さんも手こずられているようです。人の不幸を喜んではいけないのですが相手は大物、大いに元気が出ます。ぼつぼつ慣れてきたこともあるようですが、10.2以降はストレスもかなり無くなって9.2に戻りたいということはなくなりました。玩具っぽいとおもっていたデスクトップも慣れてしまうと、逆に9.2が古色蒼然という感じがしてきます。現在の問題点といえばバックアップのレトロスペクトとエプソンのレザープリンターが対応していないことぐらいになりました。ファイルやホルダーをたたんだ時に行方不明というミスはまだありますが、だいたい行方も分かってきて大事にはならなくなりました。
   素晴らしいのはつきものだったフリーズが全くゼロになったこと、サムネイルの大きさが変えられたり画像サイズが表示される、見やすいブラウザがいろいろあることなどでしょうか。これから挑戦される方も山坂はあるでしょうが先を楽しみに頑張って下さい。

10月29日

ひとのつながり

   また新聞からのネタになりますが、人類学者の河合雅雄さんの私の履歴書が連載されています。始めの頃に今西錦司さん、梅棹忠夫さんなどとの鮮烈な出会いや進路決定の経緯が書かれています。 1969年、世の中の多くの人とともに「知的生産の技術」に魅了され、京大型カードやカナ文字タイプライターに熱中したことを思い出しました。現在のパソコンにつながるルーツはすべてここから始まったのです。「学校では知識はおしえるけれど、知識の獲得のしかたはおしえてくれない。」という文章は呪文のように38才だった人間をとらえました。梅棹忠夫さんが示唆されたことは、その後の技術の進歩によってすべて現実になりました。私たちは著書やお仕事を通してのことでしかありませんが、卒業を前にしてこうした方々との出会いに恵まれた、河合雅雄さんをほんとうにうらやましく感じました。

 

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