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8月13日


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30年目の同門会
1970年代、外洋ヨットレースに熱中していたことがありす。長距離レースでは4人づつが一チームになって交代しながら艇を走らせるのでチーム編成は重要でした。一番熱くなっていたのは数年間で、それほど長くは続かなかったのですが、それでも当時20台前半のメンバーにとっては忘れられない思い出になって、その後も年に一度は集まっていたようです。
親分の方はその後すっかり潮気も抜けてしまって会合にも参加しなかったのですが、最大のイベントだった1974 China sea raceから30年という節目なので、集合のラッパを吹きました。当時、学生や社会人一年生だった人たちもほとんど50台に入ってしまいましたから、始めは暫く思い出せない顔もありましたが、一時間もたつ頃にはすっかり昔にタイムスリップして楽しい時間を過ごしました。
われわれの艇がレース活動を停止した後の進路はさまざまです。オーストラリア・大阪のシングルハンドレース優勝などという成果をもつ人、さまざまな大レースに助っ人として協力している人、いつかは!という夢を捨てず自作艇に取り組んで要る人、ヨットの販売をしている人、サンデー・ヨットマンなど大半の人は海に関わっているようですが、家具の製作、自衛官から建設業に転向した人もいます。それでも海外クルージングの話しなどになると南がいい、いや北だと大騒ぎで、それぞれの思いの屈託なさに花が咲きました。
こちらは一ヶ月ほどの時間をかけ、昔の資料からプレゼンテーションを準備しました。仕事とは関係ないので、バックミュージックなどにも凝ってなかなかのうけだったのですが、宴もたけなわで次々にチャチャが入るので、音楽とのバランスは思い通りにはなりませんでした。しかしこうして昔を振り返ることは消えかけた記憶をリフレッシュすることに役立ちます。写真が残っている部分の記憶は細部まではっきりしていますが、記録がない部分では記憶の方もすっかり薄れています。
8月という月はお盆に終戦記念日が重なって、われわれ戦中派には何かと昔を回顧させる月です。今年も大量に見つかったという昭和初期のカラー映像が、何度かに分けて放映されました。その色調、画像の確かさを目の当たりにして、いまのCD、DVDやソフト、再生装置などほんとに大丈夫だろうかと心配になります。
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8月18日


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Dr.Alain Fontenelle
お盆のさなかにフォンテネル先生が亡くなられたという知らせがありました。パリからの電話で詳細は不明ですが、8月13日南フランスで、原因は心臓麻痺ということでした。海外のお知り合いはそう多くはないのですが、その中ではかなり親しくさせて頂いており、こちらが元気なときには年に2〜3回お目にかかることもあっただけに、ただただ残念な思いで一杯です。私自身の残り時間の少なさが気がかりで、一度連絡をとって出かけたいと思っていた矢先のことでした。 臨床歯科を語る会や火曜会の40周年記念にもご講演いただきました。独特のリンガル・アーチを用いての歯牙移動、特に大臼歯欠損症例への小臼歯の遠心移動などには、多くの人が衝撃を受けました。飾らぬ人柄にも惹かれるもの多く、その後パリ経由でヨーロッパに行くときには、まずお好きな一升瓶をお届けしてからということが恒例になっていました。フランス人という概念にはなかった、昔の日本人のようなやさしさ謙譲さにはいつも心打たれました。講演で世界中を歩いていらしたので,いつかタヒチでセミナーをやろうとお話ししていたことは遂に実現しませんでした。あまりにも数々の思い出があるだけになんとも言葉にならないのですが、せめてもう一度お目にかかりたかったという一言です。
インターネットという媒体でこうしたお知らせをすることへのためらいはあるのですが、ご存じの方々も多かったので、追悼のアルバムを掲載させて頂きご冥福を祈りたいと思います。
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8月18日


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Dr.Alain Fontenelle
I was informed that Dr. Fontenelle had passed away during the O -Bon period 13th of August. The sad news came in a call from Paris but the details were quite unclear.
Among only a few of my acquaintances from abroad, he was a close friend of mine as we had some chances almost yearly to see each other while I was still in good health. So this news shocked me and filled me with sorrow.The tragic news came just when I was thinking of visiting him again, while, I thought, I still have time left on the earth to do such things.
He had given lectures at the 40th Anniversary of Kayo-Kai. His talk on "Tooth movement by unique lingal arch apliance, and especially distal movement of premolar on edenturous arch had a positive impact on his audience. Additionally, his frank character appealed to many people.
It was a habit of mine to always first drop in to his place with a bottle of his favourite Sake on my visits to Europe. His modesty, his kindness and his understanding of the traditional elements of Japanese people and their lives, which I felt the majority of French people didn't possess, often impressed me.
As he usually travelled around the world giving lectures, we had been talking about holding a seminal in Tahiti some day. This will now unfortunately never come to pass.
I have so many memories with him that I now cannot find suitable words to express my feelings of sorrow and loss. I just wish I could have seen him once more before he passed away.
I hesitated somewhat to release this note on the web-site. However, Dr. Alain had many friends and acquaintances and I just would like to express my condolences by putting some of my thoughts and his photos here.
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8月20日

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電子カルテ
何年かに一度しかないことですが、車中の読み物に文藝春秋9月号を買いました。日本の黄金時代1964〜74などという記事にひっかったからです。そちらはそれなりに面白かったのですが、「電子カルテはいつまでに普及するのか」という厚生省のお役人と作家の対談には驚きました。21世紀の医療情報化のために電子カルテが不可欠、患者にも恩恵をもたらす、医療ミスが防げるといった前半の礼賛は、中段のセキュリティ確保辺りから怪しくなり、電子カルテからプライバシー侵害なしにデータを集積するという難問はするりと通り抜けてしまいます。そして最後は医療のインフラ整備としてEBMが必要だ、ガイドラインに従って診断・治療が行われるべきだといった引用の末、患者さんと医師の信頼感を高めることが必要だという結びになっています。
何度読んでもちんぷんかんぷん。しかしこういう人が「保険医療分野における情報化に向けてのグランドデザイン」を担当しているのだそうです。 |
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8月26日

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詩のボクシング
日曜の夜、衛星第2の「詩のボクシング」という番組に途中から引き込まれました。
心に響け!声の力・言葉の力・つぶやき・方言・擬音。地方大会優勝者16人の激闘。という説明文がついていましたから「のど自慢大会」と同様、かなり大規模に行われているようですがこれまでゆっくり見たことはありませんでした。ボクシングという名称通り二人ずつが戦うトーナメントなのですが、たまたまチャンネルを合わせたときの語りの迫力に呑まれました。内容もさることながら、演技といっても良い語りの上手さと、3分間でたたみ込んでいく流れの素晴らしさに圧倒されたのです。年齢職業などさまざまですが、この人いったいどういう人だろうと思うと家族や地元の人が登場する番組構成も楽しいものでした。優勝決定戦は第2ラウンド制で直前にテーマが出されるシステムです。不得意なテーマでも即興で3分間の話しを組み立て、聴衆を引き込むのは至難なことと思います。すでに用意してきた話しを展開するのとはまた別の才能でしょう。
未成熟のものが出てくるだけに、それぞれの発想まとめのプロセスが見えて大変興味深いものでした。
ケースプレのことなどを思い浮かべながら、なるほど!なるほど!の連続でしたが、一昨年、日歯フィルムライブラリー録音の時にもナレーターの朗読で、自分の文章が別物のようにいきいきしてくることを思い出しました。
8月31日(土)夜9自30分から3チャンネルで再放送があるようです。お暇がありましたらぜひご覧下さい。(NHK)
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8月30日
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ペンタックス *ist D の○と×
口腔内ストロボ撮影については文句なしで *ist D の天下です。背面モニターを使っての12倍までの拡大、上下左右への移動もダイレクトな操作でD100などより遙かに使いよく、テレビを使っての画像提示には大いに威力を発揮するでしょう。
ただ良いことずくめではありません。僅かな試用期
間でも気になる点も少なくありません。
- 小さく軽いのは良いのですが、私にはやや小さすぎるように感じます。グリップを握ったとき右手の爪がレンズ側に当たって窮屈に感じます。左手の手のひらに当たるボディ部ももう少し大きさがあった方が安心です。
- 上部の表示パネル、背面モニターとその表示も小さすぎます。老人には眼鏡の他にルーペが必要です。モニターカバーはつけられません。
- メニューなどが縦に並ぶ背面を凹ませたデザインも余り意味がないように思います。お得意の最小にこだわったことが裏目に出ています。ここまで詰めておいて最後に少し戻したら良かったのにと感じます。グリップの質感表示文字の色使いなどを含め大差ではありませんがD100に軍配です。
- 最悪はCFカードの出し入れです。取り出しボタンを押しても出方が少なく、前面側にスペースがないので手でつまめず専用ピンセットが必要です。これも無理な小型化のつけです。
- どのみち電子音なのですが、シャッター音もD1X、D100、ist Dの順です。
総じてカメラを持つ喜び、使う楽しさは見いだすことができません。EOSなどに追いまくられる今日この頃です。そんなことは無理難題であることは十分承知しています。しかし、更に一層はすっぱであろう「カワハギKiss デジタル」の悪口を言うぐらいしか楽しみは残っていないのでしょうか。
チェアサイドにはist D、お出かけにはD100、そして良き日々を偲んではD1X、どれも無しにはできません。
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8月31日

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K-Macs Forever
白色LEDの記事は何故か日付を入れずに書き綴ってしまったので、ことの始まりも正確には分かりません。画像データからすると2002年の1月か2月頃と思われます。
デジカメと外付けストロボまでは作っても、リングストロボは作ってくれないカメラメーカーに業を煮やして模索を始めました。いずれはカメラメーカーもきちんとしたリングストロボを作るだろうし、あるいは同じ発想でLED照明も手がけるだろうから、それまでのつなぎにしかならないが・・・ということははっきりしていました。
われわれの用途に近いものがネット上で見つかり、発光部については少ロットの製作も引き受けてくれました。電源部は秋葉原のパーツ屋で探して技工室で加工するという家内工業が始まりましたが、何時でも撤収できることが前提ですから受注生産以外にありませんが、受注にはサンプルが必要という悩みにも突き当たりました。だまされたと思って!と割り切って下さる協力者のおかげで、ぼちぼち製品らしき形にはなりましたがコスト高は解消できません。製造側からは数量をまとめることを提案されるのですが、こちらの希望とは遠くかけ離れていました。
2003年になってLEDの数を増やしながらコストは据え置くために、これまで1年間の提携先とは折り合えず新たな発光部の製造元を見つけました。しかしこれまでにはない数の発注を余儀なくされ、結局これが不良在庫となってこのプロジェクトを赤字確実なものにしました。しかし今回の幕引きのキッカケがあの恨み骨髄のOCC製造元ではなく、旧友のペンタックスであったことは幸いでした。
事前に一人づつ十分問題点はご説明したつもりでしたが、ストロボ撮影以外をまったく知らず、カメラぶれはないのが当然と思っている人たち、製品の性能を改善すれば旧製品の救済を当然のように要求される人たちの存在も、プロジェクト中止の決断をうながすことになりした。しかし、ストロボにないナチュラルなLEDの色調は将来の発展を予感させますし、現在の製品としての完成度はかなりのところにきたと確信しています。
振り返ってみるとニコンがメディカル・ニッコールを生産中止し、リングストロボはリニューアルしながらデジタルカメラには使えない状態を続けていることが諸悪の根元になっています。 K-Macs の130に対して僅か8球というオモチャのようなNikon
MACRO COOL-LIGHT というLED照明もユーザーを馬鹿にしていますが、現時点の白色LEDの価格では製品化できないことを雄弁に物語っています。こんな高原価の製品は2度と現れないことに胸を張って撤退しますが、私自身は100%ではなくても今後も使い続けるでしょう。
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