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<ニューヨークってのは、な、世界一の都市さ。お前、ニューヨークも知らないのか? >
<ぼ、僕は知りません。でも、と、東京が世界一大きい都市だってママが言っていましたよ>
<誰なんだよ、そのママってのは?>
この家では、猫を親子ぐるみで飼ってるのかと思って思わずたずねた。
<ほら、そこにいるのがママ。き、君を空港までお迎えにいったでしょ?>
――そうか、おばちゃんがママなのか。猫と人間の親子? 変な野郎だよこいつはまったく――
そこへ、おじさんが顔を出した。
「シータス、これが、うちのパパ」
みどりが紹介してくれた。おじさんは俺を一目見るなり、
「なんだ、すごくかわいいって聞いてたけど、どこにでもいるただのトラ猫じゃないか。これがその、病気にばっかりなって、しょっちゅう獣医にかかるって猫?」
と、すっとんきょうな声を出した。
<ただのトラ猫だって……。みどりったら、全部しゃべっちゃってるんだ。俺が弱くて散々迷惑かけたことを……>
出端をくじかれて、玄関に糊付けになったみたいに動けない俺に、おばちゃんが声をかけた。
「さあ、シータ君も、そんなところでムーちゃんの臭いをかいでいないで、早くお入りなさい。昨日から何も食べてないんでしょ、ご飯よ」
出されたドライフードも、いつも食べているのとは全然味が違う。でも、ちょっとエキゾチックでいけてた。

それにしてもムサシってのは、本当に変わった猫だ。 こいつときたひにゃ、俺より2歳ばかり年上だそうだが、まだそう歳でもないのに、食うこと以外興味がない。
俺がイサカから持参した数々のおもちゃを親切に貸してやっても、遊び方が分からない。 ただあわてまくって、右手を口に突っ込んだり出したりを繰り返す。 だから、俺が噛んで含めるみたいにいちいち教えてやらなければならなかった。ところが、やっと遊び方が分かってもすぐ鼻息が荒くなって、疲れて飽きてしまう。
<シータ君、ありがとう。でも、ぼ、僕、もういいです。疲れました>
と、返してよこす。 まったく張り合いがないったらありゃしない。
みどりはほとんど毎日、久しぶりに友達に会ったり、買い物に出掛けたり。 でも日本では、イサカみたいにどこへ行くにも俺をカゴに入れて、というわけにいかないので、俺はいつもお留守番だ。
おばちゃんも、なんだか忙しそうで、あまり遊んでくれない。 遊び相手といえばムサシだけだった。 独創性に富んだ俺は、次々おもしろい遊びを考えついて、ムサシに一緒にやろうっていうのに、あいつときたら不器用で不器用でお話にならない。 それでも、必死でマネをしようとしては失敗するので、始末におえなかった。
例えばあるとき、花や葉っぱはクチャクチャ噛むと、とってもいい味がするんだってことを教えたら、その日以来、花瓶の花という花を噛み始めた。
<うん、なるほど。シータ君、これはおいしいですね>
とか言って。 それに、植物を食べないで田舎者だと思われたくなかったのか、苦いアロエの葉っぱまでクチャクチャかんで、半分口がひん曲がっているのに我慢している。
<おい、苦くないのか?>って聞いたら、 <ええ、とっても苦いです>ときた。 まったくお手上げだ。

この家では、いつも暖炉の上に、大きく花が生けてあって、まるで、食べ放題のバイキングって感じなのだが、ちょうどその日は、食べやすい場所に苦い花がはいっていた。 困った俺たちは、花瓶をぐるりと一回転させて、甘い方の花を食べようということになった。
そこで、あいつに少しずつ花瓶を押すように言い付け、俺は前方から引っ張って向きを変えるという難しい作業に取り掛かった。 ところがその真っ最中、運悪くおばちゃんが部屋に入ってきてしまった。
「まあ、なんてことでしょう。ムサシ! シータス! コラッ!」
おばちゃんの怒鳴り声に驚いたムサシが、逃げようとして花瓶に全体重を乗せたからたまらない。 俺は花瓶もろとも床に転げ落ち、花瓶は粉々に砕けてしまった。 おばちゃんは、稲妻のようにとんできて、まずは俺の、返す刀でムサシのお尻に、ピシャリとするどい平手打ちをくらわせた。 どうやらその花瓶、おばちゃんのだいじなものだったらしく、おばちゃんは本気の本気で怒ってしまった。
「シータスったら、ムサシに悪いことを教えて! あんた、なんて悪い猫なの!」
俺は、帰ってきたみどりにお説教で絞られわ、みどりの寝室に監禁されるわ、散々な目にあってしまった。
それ以来、おばちゃんは俺を危険猫だと思ったらしい。何をしていても監視されるようになってしまった。

ある日、例の美味極まりない”削り節”の在りかを発見した。 ところが、いかに背の高い(胴の長い)俺でも手が届かなかったもので、ムサシにも分け前をやることで協力を取り付け、あいつを踏み台に上段の戸棚を開けようとしているところを、現行犯で取っ捕まった。
おばちゃんの襲来でびっくりしたムサシが、またしてもドジ。 俺を背中に乗せているのも忘れ、逃げ出したのだ。 お陰で俺は戸棚から取り出した削り節の袋をくわえたまま宙づり。 これまたこっぴどく尻をたたかれた。
またあるときは、壁からちょっと頭を覗かせていた糸の端を手繰り寄せて遊んでいたら、夢中になり過ぎ、気が付いたときにはあや織りの壁紙がすだれのようになってしまったこともある。
ムサシがいつも昼寝する、フカフカの絨毯のその場所を分捕りたくて、あいつが寝たくなくなるようにと、ちょっと俺のオシッコをひっかけたときのおばちゃんの怒りようは、いま思い出しても震えてしまう。 熱湯と洗剤をかけ、ゴシゴシ、ブラシやタオルでこすって、ドライヤーを当てて……。 その日の夕食は、俺の弾劾裁判だった。
「この猫、行儀ってものをまったく知らないんだな。みどり、一体どんな躾をしてるんだ。この家に帰ってきたいなら、猫に躾をしなさい」
怖い顔で宣告するおじさんに、みどりはただうなだれて、
「シータ君はいい子なの。ただ、ちょっとわんぱくなだけで……」
「何がわんぱくよ! シータが来てから、いい子のムーちゃんまで悪さをするようになったわ。大事な花瓶をはじめ、壁紙といい、カーペットといい、シータが来てまだ1週間だっていうのに、うちはもうボロボロ」
俺もドアの陰から見ていて、さすがに、こいつはちょっとヤバイことになったと思った。 その夜、寝室に入ったみどりは、真剣な顔で俺に言った。
「ねえ、シータス、あなたがいい子だってことは、私がよく知ってる。でも、ここへ来てからのあなた、ちょっと異常だと自分でも思わない? パパやママが怒るのも当然よ。あなたがそんなに悪い子だと、私、もう、お休みに日本へ帰って来られなくなっちゃう。それに卒業したら、どうしたって、ここへ戻ってこなくちゃならないのよ。分かってる?」
こんこんとお説教されてしまった。 返す言葉もない。 悪気はなかったのに。 ただ、イサカにいるときとちょっと勝手が違っただけ……。 でも、そんな言い訳が通らないのも分かっていた。

クリスマスのディナーには、お客様も見え、取って置きのテーブルクロスやグラスや皿が並ぶので、シータシスがテーブルをひっくりかえしたりしてはと、みどりは自発的に俺を部屋に閉じ込めた。
ムサシはちゃっかりテーブルの下で、おこぼれをちょうだいしているというのに、俺は、みどりの寝室でドライフードをかじって……。 生まれて初めてのクリスマスは、独房で、偏見と差別の屈辱に打ちひしがれて過ごすことになってしまった。
次の日、すべての片付けが済んでから、俺は独房から出所した。 ムサシは何も事情をしらなかったらしい。 俺を見つけると、大急ぎで駆け寄って来て、
<シータ君、昨日はどこかのクリスマス会に行っていたんですか? おうちの御馳走もとてもおいしかったから君のぶん、取っておきました。それに、君へのプレゼントも預かってます>
と、半分干からびたローストビーフと、削り節の小袋を差し出した。
<アッ、そう。それはありがとう。昨日はちょっと忙しくてさ>
と、格好をつけて、さもどうでもよさそうにローストビーフをくわえた。
<ね、おいしいでしょ?>
と、横で熱心にたずねるムサシを、うざったいと思いながら、俺はその親切に涙がこぼれそうだった。
これで俺も少しは学習したつもりだった。 ムサシみたいに少々かったるくても、迷惑をかけず目立たないのが、日本でみんなにかわいがられる秘訣なのだろうと悟ったのだ。 だから、お正月はちゃんとやろう、もうみどりがしかられるようなことはすまいと決心した。
ところが、また、やらかしてしまったのだ。
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